季節外れの入学式
我が子が通う学校は、2020年3月2日より5月31日まで新型コロナウイルスの感染拡大の影響により休校のままだった。当時小学校6年生だった息子は、離れ離れになる友人たちと僅かに残されたひと時が奪われてしまったことへの悲しみで涙を流していたのも遠い昔のように思える。
厳戒態勢の中で行われた卒業式は、卒業生と親のみに限定されたもので、事前に保護者有志たちが準備していた謝恩会もなくなってしまった。それでもそんな状況の中で手作りの卒業式を開催してくれた学校には感謝しかない。そして、卒業式に見せてくれた生徒たちの笑顔は忘れられない笑顔となった。
3月に終えた卒業式の後、状況は思うように改善されず、延ばし延ばしの休校に想像を超えるストレスを抱えていたに違いない。
親としてもう少しそばにいてあげられたらよかったのかもしれないが、こちらも自営業で先の見えない不安の中、どう生き抜くかを考えなければならず、きちんとサポートできてたとは言えない。いつもの笑顔を見る機会が減りながらも、なんとかこの3ヶ月を乗り切ってくれた子供たちにも感謝している。
大人になった時、彼は2020年をどんな風に捉えるのだろうか。
この3ヶ月ふとした瞬間にそんな考えが頭をよぎる。
知る由もないけれど。
そして6月1日、ようやく学校がスタート。息子は慣れないネクタイを結び久しぶりのお弁当を持って家を出た。入学式はオンラインで開催され、指定された時間にはらいそのPCの前に夫と二人(たまにスタッフも)で中継を見守っていた。
世の中は便利になったもんだねぇ。と呟きながら息子の中学入学式が終わった。
入学式を終えて5日目の今日、息子は13歳の誕生日を迎えた。
だんだんと子供から大人へと進んでいく時期で、矛盾に向き合う時の感情のコントロールが難しい年頃になっていく。
笑顔が代名詞だった息子も、きっとそんな時期を過ごしていくのだろう。
気がつけば、この自粛期間中に身長だって私より3センチも高くなってしまった。
ここからの三年間は、手を差し伸べる機会を減らしていく寂しさも抱えながら、息子の目指す扉が開くのをそっと見守っていくのだろう。
お誕生日、おめでとう。
息子はいつだって優しい。いつも洗濯物を畳んでくれる。買い物に行けば重い荷物をそっと持ってくれる。友達と学校が大好きで、人の良いところを見つけるのが得意で、記憶力も抜群でバスケが大好き。数えだしたら彼の良いところで埋め尽くすことだってできるのに、そんなことをほとんどしてこなかったなと少し反省。
なので、今日はここに記しておこうと思う。
今までありがとう。
娘二人が反応したある事件
自分には息子の他に17歳と11歳の娘がいる。
世界中が混乱に包まれた新型コロナウイルスがようやく再生の道へと扉が開かれた矢先に飛び込んできたニュースに、二人の娘が激しく反応した。
南半球で暮らしている長女は、ミネアポリスで警官によって引き起こされたジョージ・フロイド氏の死に便乗して世界中の人たちが自分たちの抱えている怒りを発散している行為に憤慨し、11歳の次女は学校で聞いてきたニュースで「差別」について語りながら世の中の理不尽さに号泣していた。
こういった事件は、センセーショナルで今まで考えないようにしてきた内容をまざまざと目の当たりにさせられる。そういった意味で考える時間を自分で作るのは大切な行為。
だけど忘れがちなのが
人間は大きな報道によって時間を奪われるということ。
彼の死を無駄にしないために自分ができることは何かと考えた時に出てくる答えは一つで「自分が差別をしない」に尽きる。
それを他者に大声で強要したり、SNSで発信しても、届くべきところには届かない。ましてやそれを理由に略奪行為に走ることは問題のすり替えでしかない。
問われているのは自分自身に対してなのだ。
そんなようなことをうまく伝えられたかはわからないが、流れてくる情報に怒りを乗せる行為は「今自分が見るべきもの」から目をそらす格好の餌食でしかないことを伝える。
そろそろ高校生活を終える長女が対峙しているのは、遠いミネアポリスで起きたことではなく半年後の彼女自身の身の振り方だったりもする。
差別は肌の色だけはないし、日本でも普通に存在する。差別をなくす社会を望むなら、「自分がしない」を徹底する。それが今自分や娘にできることではないのだろうかと自問自答する。
そして日々の生業や全てに余裕ができた場合にもう少し踏み出せるのかもしれない。
母親として娘たちと人種や差別について語り合う時間があることは大切だと思いつつ、彼女たちの見ないふりしている軌道を修正するのもまた親の務めと思いながら対話をする。
3人の子供が全員10代になり、子育ても対話型へとシフトしている中で、言葉選びはかつてよりも慎重になる。
まだまだ奥が深い子育てです。
沖縄の透んだ海を楽しめる琉球ガラス「うみいろ」
今年に入ってから、世界が急展開しているような事ばかり起こり、情報に左右され心があっちへいったりこっちへいったり私のようにしている人も多いでしょう。
そんな時、心が洗われるような美しい器を愛でると、気持ちも晴れやかになります。
今日はそんな器を紹介したくてキーボードを叩いたのに随分と長くなりました。
それではご紹介します。
再生ガラスを使って生み出される「琉球ガラス」。 琉球ガラスとは、沖縄本島を中心に制作される工芸品。主に空き瓶などを溶かし、再利用して制作されています。真っ青に済んだ沖縄の青い海を思わす琉球ガラスのグラスをお届けします。
うみいろボウル
うみいろボウルはヨーグルトやアイスクリーム、サンデー、フルーツ盛り合わせなど夏の食卓を涼しく装ってくれる最強アイテム。
うみいろロック
うみいろロックグラスは、ビールや水割り、ソーダ割りを飲むのにぴったりのサイズで、日常の「おつかれさま」の一杯を優雅にしてくれるグラスとして。また、コーヒーやアイスティー、麦茶などたっぷり飲みたい方にオススメのグラスです。
うみいろオリオングラス
オリオングラスは、オリオンビールを飲むのにぴったりのネーミングで、日常の「おつかれさま」の一杯を優雅にしてくれるビアグラスとして。また、持ちやすいサイズなのでお子様の麦茶やジュースなどにも使い勝手の良いサイズとなっています。
うみいろプレート
沖縄の海をそのまま手のひらにすくったような爽やかなプレート。サラダや冷製スイーツにぴったりの使いやすいサイズです。
最後までお読みいただきありがとうございます。私事をつらつらと書き留めましたが、今年は世界中の誰にとっても記憶に残る年になるでしょう。そんな年に卒業式と入学式を経験したちょっぴり反抗期を迎えつつある息子と、世界情勢を憂う二人の娘の成長をひしひしと感じながら、ちょっと肩の力を抜いて沖縄のブルーに身を任せてリラックスしたいものです。
それではみなさん良い週末を。
2020年6月5日
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