時代 | はらいそ通信

2020

2020年という年は、我が家にとってこんなことがありました。

  • 息子小学校卒業
  • 息子中学校入学
  • 長女高校卒業

箇条書きにしてみると人生におけるよくあるステージなので、そう書かれても得てして「へぇ、そうなんだ」といった反応が返ってくるものだ。

だが、2020年は世界中の誰もが予想しなかったことが起きている。

香港へ行く予定だった息子の修学旅行は、香港の暴動によって厳戒態勢が敷かれ、関西へ急遽変更になった。卒業式は新型コロナウイルスの影響で実に簡素化され、これまた厳戒態勢の中で執り行われるという子供を3人育てた中で記憶に残る卒業式だった。緊急事態宣言が出され、中学校の入学式はオンライン入学式で子供たちが学校で入学式を行なっている風景を動画配信で視聴する前代未聞の入学式。

人生何が起こるかわからない。

18

そんな世界中が不安に包まれた2020年10月2日に、南オーストラリアで暮らす長女が18歳になった。かれこれ2年近く長女とは会っていないけど、無料のビデオチャットやメッセンジャーで毎日コンタクトを取っているから物理的距離はさほど感じないまま3年がたった。

日本では、彼女の世代は20歳が成人だけれども、オーストラリアは18歳で成人を迎える。ならば、我が家の成人も18歳でいいかなと思い、家族ぐるみの付き合いで、長女が小学生の頃から知っている浜比嘉島で夜光貝や高瀬貝のジュエリーを作る友人に、ピアスとネックレスのセットを娘のためにお願いすることに。

かいのわ」のまこっちゃんが作ってくれた高瀬貝のピアスとネックレスが、彼女の手元に届き、開催が危ぶまれていた卒業式に、無事身につけることができたそうだ。

きっと20歳の誕生日だって近くにはいないであろう娘に、少し早い大人の装いのジュエリーセットを贈って、とりあえず母としての役割はだいぶ果たせたかなと思っている。

まこっちゃん、純子ちゃん本当にありがとう。

音楽をこよなく愛する長女は、日々ギター片手に歌を歌い、さらに音楽を学ぶためにもう直ぐメルボルンへ経つ。

未知のウイルスに包まれた地球で、次に会う確約なんて、今のところみえてこない。

だから、プレゼントに添えたカードに書いた言葉は

「またどこかで会おう」

だった。

寂しさは、物理的距離とはあまり比例しない。

便利な世の中になったものだ。

※娘に贈ったかいのわの作品の画像は、かいのわからお借りしました。写真、ありがとう。

41-5

2020年、自身にとって大きなイベントはやはりGalleryはらいそ識名園のオープンだろう。

毎年参加してきた県外の百貨店での催事や、アートフェスティバルなどのキュレーション業務を続けていくうちに、自分の中で芽生えるヴィジョンが明確になっていった。

一過性のイベントではなくパーマネントに沖縄現代工芸を発信できる拠点を作りたいと思うようになったのが去年の8月。

経済的、事業規模的に実現可能か不透明ながらも、イメージだけがクリアで、流れに身を任せていると、

那覇の真地(まあじ)という小さな町に手頃な物件が見つかった。

沖縄に移住してもうすぐ10年。うるま市に住み、事務所を構え、店を持ち、うるまのことはなんとなくわかるようになったが、那覇は未知の世界。

地元の人からは

「真地(まあじ)は那覇じゃないからね」

と何度も言われ、経営相談では、

「なんで国際通りや壺屋じゃなく真地に店舗を出すんだ」

と言われ・・・

なんなんだ、真地(まあじ)。

どうしてそんな扱いなんだと思いつつ、識名園の中に流れる空気の清々しさと、識名園とはらいそ を挟む通りの気の流れの良さを感じる自分の感覚に委ねるしかないと、計画を進めていった。

そして物件の契約をして1ヶ月後に首里城が燃えてなくなった。

沖縄が悲しみに包まれている最中、いざ店づくりに専念しようとした2月には、じわじわと拡大して行く新型コロナウィルスが日本に迫って来ていた。

3月はじめにオープンする予定で進めていたが、様子を見つづけていくうちに12月にまで伸びてしまった。

でも、この「様子を見ながら」という時間の流れが、結果私たちには必要な時間だったように思う。

満を持してこの那覇市真地にGalleryはらいそ識名園がオープンした。

連日地域のお客様に恵まれ、

「真地(まあじ)らしからぬお店ができて真地(まあじ)がざわついている」

と歓迎(?)の言葉をいただいている。

そしてみなさんがとても楽しそうに沖縄の現代工芸を愛で、連れて帰っていく。

こんなに早くこの場所でお店をオープンしてよかったと実感できることに驚きを隠せない。

Galleryはらいそ識名園は那覇市真地(まあじ)41-5という場所にあります。

真地(まあじ)という町には、かつて琉球王朝時代、王様が海外からのお客様をもてなしていた庭園があって、町の人に愛される小さなパン屋さんと沖縄そばやさんが1軒ずつ、そして沖縄の上質な工芸品が買えるGalleryはらいそ識名園がある静かで素敵な町です。

ぜひ、真地散歩を楽しんでみて。

8

私には、8歳年の離れた兄がいる。

6年前、うるま市石川曙にGalleryはらいそをオープンした時にも大きなウンベラータを贈ってくれ(今も元気)、識名園の店舗にも爽やかな色合いの観葉植物を贈ってくれた。

年が離れているせいか兄妹というより保護者に近い関係で、成人してからもお年玉をくれる、そんな兄だった。

毎年、里帰りを兼ねて出展する東京の展示会には、義姉と一緒に来てはたくさん沖縄の工芸品を買ってくれたり、去年の6月は、珍しく兄から誘いがあって、初めて兄妹二人で銀座でお酒を飲んだりもした。

そんな兄についての知らせを受けたのは、この観葉植物が届いた日の前日だった。

遠くに暮らす親からの涙混じりの電話はたまにドキリとする。

涙声の母から伝えられたのは、予想とは違って兄に関するものだった。

ステージ、転移という乾いた言葉が、ぐるぐる頭をめぐり、取り乱す母に、「とにかく前向きに大丈夫だから」という言葉で落ち着かせ、電話を切ってからしばらくして涙が溢れて来た。

この物理的距離は遠い。

そう感じざるを得なかった。何もできない歯がゆさと虚しさに押しつぶされそうだった。

動揺する私を、すっかり私より背が10センチ以上も高くなってしまった息子が抱きしめてくれたり、末娘は「祈ろう!」といってくれたり。

南オーストラリアで暮らす娘は、兄のために手紙を書くから、おじさんの好きなものってなあにと尋ねて来たり。

ああ、こういう時に家族ってありがたいと本当に思える。

とはいえ、改めて聞かれても、45年間「妹」をやってはいるものの、あまり兄のことを知らない。

しびれを切らした長女は従兄に直接連絡を取って聞き出したらしい。

自分といえば、遠い南の島からは、祈ることしかできないし、甥にも

「とりあえず、笑ってれば免疫力上がるから東京03とサンドイッチマンとラーメンズを見せて」

と頼りないアドバイスしかできなかった。

そんな頼りない叔母とは正反対な甥は、自分は両親のおかげで強く育ったから二人を支えられるってことを見せつけてやるんだと頼もしい大人に育っていた。

今年20歳を迎えた甥は、歌が得意な彼のいとこにあたる私の長女に、兄のために二曲の歌をリクエストしていた。

甥がリクエストした曲が、中島みゆきの「時代」だと聞かされ、1日の終わりに店じまいをしながら口ずさんでいたら、涙が止まらなくなった。

そんな、時代もあったねといつか笑える日が来るわ

いつの時代も、この曲は泣かせるね。

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悲しんでばかりもいられないので、これから治療が始まる兄をはじめ、周りで支えてくれる甥、義姉、そして80が見えて来ている両親たちに

Stay strong,Stay positive

のエールを。

私たちは、この時代に生きている。

それだけが事実。

この家族の元に生まれて良かった。

ちなみに娘がリクエストされたもう一曲は「愛は勝つ」だったらしい。

いやぁ、本当に兄のことをよく知らない(笑)

ずっと兄が好きなのは、サザンだと思っていたよ。

20201224

早速、長女が甥から頼まれた中島みゆきの「時代」を、放射線治療が始まった兄のためにカバーしてくれたのでここに印としてあげておきましょう。