I’ll be there for you|はらいそ通信

子守唄

2002年の10月に生まれて始めて出産を経験した。今思えば、初めて出産してからというもの、「生まれて初めて」という表現を使わなくなった気がする。「人生で初めて」というような言葉の使い方へ微妙に変わったのは、人間が人間を「産む」行為をしてしまったからなのだろうか。

さておき、子どもが生まれると、カラオケさえあまり行かない自分が子どもに歌をうたうようになる。とてもごく自然に。それは遠い記憶のかなたに残る、母や叔母がベッド脇でトン、トン、と優しく肩をたたきながら歌ってくれていたことに起因している。不思議なもので、子どもを産むまで思い出しもしなかった「子守唄」が子どもを産んだあと妙に鮮明に蘇ってくるから面白い。かといって、自分に歌えるレパートリーといったらそれほど多いわけでもないので、「ふるさと」「浜辺の唄」「ドレミの歌」など最初は母が歌ってくれた歌で構成されていく。そのうちレパートリーに困り、歌えそうな曲を片っ端から歌って行く。そして心地よく眠りについてくれる曲にたどり着く。本当になんだって歌った。フィッシュマンズも小沢健二も西岡恭蔵も細野晴臣もキセルも片っ端から歌っていた。

心地よく眠りについてくれたその歌は

世界の名曲CARPENTERSの「Close to you」だった。CARPENTERSの歌は、不思議と子供たちを心地よい眠りへのいざないとなって、我が子育て人生の助け舟となってくれるありがたい存在だった。

それ以来、長女はとにかくよく歌を口ずさむ幼少時代を送っていた。保育園に迎えにいっても保育士から言われることは「今日もね、上手に歌をうたってたんですよ。しかも誰もいないカーテンに向かって」とか「今日も一人で歌を歌ってましたよ、暗がりで」と報告を受けながら、親としては少し心配するも、よく歌う子認定だけはしていた。

幼い頃習っていたフラのスタジオでは、少女たちがウクレレを弾き、それに合わせて踊る子もいれば娘はそこで歌をうたうというポジションだったように思う。

こんな感じで

かつて歌っていた唄を娘が突然歌い出す

そんなこんなで、「よく歌をうたう」長女は、よく歌うまま先日17歳の誕生日を迎え、今もなお、暇さえあればギター片手に歌をうたっている。しかし、幼い頃に心地よく眠りについてもらうためにお世話になったCARPENTERSは、成長とともに聴く機会が極端に減っていき、家で聴くことも口ずさむこともなくなっていった。

そう、まるで絵本の「Giving Tree」で描かれている子どもの成長とともに記憶から離れていってしまうという切ない物語のように。

数年前、学校行事で娘がギターソロの弾き語りをすることになった。どの曲を演奏するのか訪ねたときに言われた言葉が「Close to you」だったので、いささか驚きを隠せなかった。当然のように学校のスタッフからはお母さんの入れ知恵だろうと茶化されたが、実際には彼女が選んだだけの話だった。

正直のところ、自分が歌っていたことに起因しているのかはわからない。わからないなりに、都合のいいような解釈をしたくなるのも母親の性であることは否めない。彼女の歌声を聴いたとき、あの頃必死に(眠りについてくれと)歌い続けて来た自分が少し報われた気がしたのだった。

子供が口ずさむ歌詞にハッとする

こうやって、かつて自分が歌っていた曲が、子どもの成長とともに別の形となって自分の元に届く歌もあれば、ふとした瞬間にハッとさせられることがある。最近ハッとさせられたのは、息子が歌うフジファブリックの「若者のすべて」という曲だった。

まだ東京で暮らしていた頃、当時はお互いサラリーマンで、夫の帰りは10時に帰宅すれば早い方だった。毎日がワンオペ育児で、我が家ではテレビがないから夫が帰ってくるまでの時間は本を読むか、音楽を聴くかだった。その時に一人で聴いていたのがフジファブリック。独特の詩がなぜか胸に響くことが多かった。あまり音楽について詳しいわけではないが、とにかくよく聴いていた。

フジファブリックの歌詞は、かつて感じていた、言葉にならない切なさや、眼に映る情景を思い起こさせる言葉ばかりだった。

この曲の中にある「最後の花火に今年もなったな」という歌詞が特に好きだった。

現代は、むやみやたらと花火がイベントのたびに打ち上げられる。だから、打ち上げ花火はもはや季節の風物詩でもなくなってしまった。ディズニーランドだって毎日上がるし、福山雅治や安室奈美恵が沖縄でライブをしたって花火が上がるのだ。そんな花火だらけの日常で、花火の価値を見出せなくなったのは年のせいもあるかも知れない。

あえて名づけるのならば「花火のコモディティ化」

自分にとって思い出深い花火といえば、子どもの頃、年に一度、てくてくと家から歩いて桟橋まで見に行った晴海の花火大会だった。竹芝桟橋に腰掛けて、風の装いが変わる8月の半ばごろ、揺れる波の上に足をぶらつかせながら、見上げる打ち上げ花火。どこからともなく聞こえてくる「たまや〜」という掛け声。桟橋の手前には廃線になった草だらけの線路。今では一軒家なんて探しても見つからないエリアになってしまったが、民家の入り口には静かに夏を過ごした朝顔の鉢植えや金魚たち。

そんなゆったりとした情景が子供の頃の記憶だった。

そして次の花火に出会うまで1年も待たなければならないのだ。来年まで見ることのない打ち上げ花火に、夏の終わりの寂しさと切なさを抱えて9月を迎えるのである。

自分にのとって夏の終わりは、1年のうちで最も切ない季節だった。

成長するにつれて、町に訪れる人も増え、気がつけば桟橋での花火の鑑賞は禁止になった。民家も消え雑居ビルが立ち並び鉢植えの朝顔すら見かけることもなくなった。家の屋上から見えていた花火も今ではビルが立ち並び、すっかり見ることができなくなってしまった。

そんな時代の変化に気づかないふりをしながら大人になって、この歌に出会い、桟橋に腰をかけ、足を揺らしながら夜空を見上げていた頃の記憶を思い出していた。

それが、12年という月日が経ち、息子が歌うようになって、ふたたび自分の脳裏にあの夏の竹芝桟橋が蘇ってきたのだ。

あの線路はとっくになくなってしまったが、学生時代、学校へ行く気分にならなかった時はいつだって、乗るはずの駅の線路をくぐり抜け、竹芝桟橋の線路の上でぼぉっとしていた。汽車が走ることのない線路はいったいどういうつもりでここに居座っているんだろうかなどと考えてみたり、どこまで続いていたんだろうかとかつての姿に思いを馳せたり。しばらくして、その線路の脇からたくましく生えている雑草たちをしばらく眺め、ようやく学校へと向かうこともしばしばあった。

息苦しかった学生時代を思い出させるのにはもってこいの歌だった。

ちなみに夫は息子の鼻唄で初めてフジファブリックを知ることになったエピソードはこちらから。

子どもと楽しむ”F.R.I.E.N.D.S”

テレビのない我が家はDVDやブルーレイをレンタルして週末の夜はそれぞれ好きな映画やドラマを見るのがお決まり。NETFLIXやhuluなど便利なツールは数あれど、毎月定額だからといって惰性で見るようになってしまうのではという恐怖から、今のところ、見たいものだけにお金を払うシステムでやりすごしている。そのうち時代の流れに乗ることもあるかも知れない。そんなお決まりな週末を過ごす我が家は、何年かに1回のペースでアメリカで10年続いた人気ドラマ「F.R.I.E.N.D.S(フレンズ)」をおさらいする。フレンズについてWikipediaにこう書いてある。

いわゆるジェネレーションX世代である「社会に出てもなかなか大人になれない」登場人物たちの、都会的なライフスタイル、友情や恋愛を、オフ・ビートなユーモアでコメディに仕立てあげている。

wikipedia

上記のように日本での息苦しさを抱えて学生時代を過ごしていた自分は、まさにジェネレーションX時代だ。特に1994年〜2000年まで、舞台となったニューヨークへは年に2回以上行くほど通っていた。滞在はSOHOやイーストビレッジのサブレットがほとんど。そこで自炊しながらみていたのがフレンズだった。スタジオ撮影のドラマなので、聖地巡礼というほどのものではないが、演者の誰かが怪我をするたびに使われる病院がどこにあるのかなど手に取るようにわかる。

そんなフレンズを子ども達と一緒に見ることになるとは思わなかったが、一度見たらみんながハマり、たまに誰かが見たいと言い出しては長いフレンズの道のりが始まる。末娘が物心つく前から見ているので、今やすっかり10才の末娘もフレンズファン。

人生に必要なものがこのドラマにはたくさん詰め込まれている。だから、家族みんなで見るのにオススメのTVドラマといえる。

人生に必要なものの一つとしてこのドラマの魅力は

「ユーモアのセンス」

が真っ先に浮かぶ。

6人の男女模様が、日本的なコテコテな恋愛で描かれるのではなく、日常的な暮らしの中で起こる友情、家族、恋人、仕事、セクハラ、ドラッグ、飲酒、同性愛などの一見シリアスになりそうな事情を、愛とユーモアを持って描いていく。

1990年代後半のNYは確かにそんな時代だった。

日本は、ダメなものは「ダメ、絶対」として触れようとはしない。そこにある問題は、触れなくても動くことなく実在する。そのつけは払われることもなく積まれたまま2020年を迎えようとしている。その実在する問題を、このフレンズというドラマでは人生の一部としてユーモアを添えて今日も生きて行くといった仕上がりになっている。そんな20代後半に差し掛かった男女のたくましさに勇気をもらった日本人もたくさんいただろう。

人生に必要なのは「ユーモア」

残念ながら、自分には子どもたちに教えてあげられるユーモアのセンスを持ち合わせていない。なのでフレンズを一緒に見ることでエクスキューズとしている。

90年代後半からインターネットが普及し、2000年を境に世界はボーダレスになってきている。海外にいる人とオンタイムで、しかも無料でテレビ電話だって出来る世の中になった。暮らしが便利になることは喜ばしい反面、コミュニケーションのファスト化がとどまるところを知らない。機転を利かせようにも遊びが利かないコミュニケーションのスタイルにどこか息苦しさを感じたりもする。

そんな暮らしの中の違和感のやりばに困る時、耳元で子ども達が楽しそうにフレンズのオープニングソング「I’ll be there for you〜」と絶妙なタイミングで踊りながら歌ってくれる。

すると日々の暮らしで少しこわばっていた神経がすっとどこかに消えていくのがわかる。

人生の大半の悩みは人間関係といっても過言ではない。子どもだって大人だって社会でやり場のない悩みを抱えていきている。

息子に至っては、小学校6年生という思春期真っ盛り。周囲は中学受験でピリピリモード。残るもの、去るものそれぞれ人生の岐路を迎えようとする思春期のこの時期に、どこか居心地の悪さを感じながら日々をやりすごしている。

そんな時に、親の立場として、親から子どもへ直接何かを伝えるよりも、一緒にフレンズを見て笑う時間を持つことが人生の中でかけがえのない時間なのではとも思う。

長女曰く、フレンズを見るのを禁止されている家庭もあると聞いて、なかなかどうして人生思う様にいかないものだと感じる今日この頃。。。

12月2日:追記

そんな歌うことが大好きな長女が、You Tubeチャンネルを立ち上げたそうです。よかったらのぞいて見てください。